20170728

相も変わらず、シネマヴェーラオーソン・ウェルズ『上海から来た女』(1947)、

めちゃくちゃ面白かった。かなり複雑な脚本で人間関係も入り組んでいたはずだが見終わると何も思い出せない。

 

 

アダムレオン『浮草たち』(2017)

filmarksやtwitterで最近話題になっていたので。

ㇵッとするシークエンスはあれどもどれも地味。そこそこいい感じに仕立て上げてるけどなにもかもどこかで見たような…はじめからそこそこの佳作を目指して製作されてる試みもお行儀が良すぎる。真夜中の遊園地、ふたりだけのプール、「ねぇこのまま二人でどこかにいっちゃおうよ」…これだけオイシイものが並んでるのに「そこそこ」で終われる才能もすごい。リンクレイター作品における会話の偉大さを知る。

 

 

西尾維新展@松屋銀座

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松屋銀座はいつぞやのエヴァ展以来。ハイソな雰囲気の中、普段はお中元売ってるようなお局様方がチケットもぎってる。

西尾維新なだけあっていかにもな眼鏡女子と非正規雇用系オタク多し。いずれも年齢が高い(みんな「ダブルダウン勘繰郎」とか「ニンギョウがニンギョウ」とかから読んでるのかしら)

展示にしては文字量の多さにチビる(入口からかなりつまっていた)。プロジェクションマッピングやら西尾維新の机を再現した展示やら読み物ばかりでもなく視覚的に楽しめる感じになってた。ウエダハジメ展の頃から化物語関連の趣向の凝らし方はちょっと他の原画展(しかも最近は原画すらなくただのポスターを並べただけのようなものが多い)と比較すると抜きんでてる。

世界各地のディズニーランド行くのが趣味とかいう短文をいきなり入口で読ませてワナビを全員殺しにかかってたり、一日十時間睡眠なのをわざわざ円グラフで見せてくれたり気合が入る展であった。

入場料1000円、音声ガイド700円、パンフ2400円…みんなお金あるんだなぁ…

 

 

 

20170726

シネマヴェーラノワール映画特集『三人の狙撃者』(1954)(原題:Suddenly)、監督はルイス・アレン。他作品は日本ではほぼ見てる人がいない。

大統領が田舎町(Suddenlyという名前)の駅に立ち寄るというので、三人の狙撃者が高台の平和な家に立てこもり、大統領を待ちかまえる話。

70分なだけあって会話のテンポも爆速で増村っぽかった。


Suddenly (1954) [Film Noir] [Drama]

パブドメなのでyoutubeで英語字幕で見れる。家に押し入った三人の大統領暗殺犯との密室サスペンスなのだが、微妙に戦争のフラッシュバックだとか世代間対立とかが絡んでいて非常にニコラスレイっぽい。つかまさかラストが犯人に電気ショック浴びせてマシンガン乱射だなんて…

 

・もう一本はサミュエルフラー『裸のキッス』(1964)


The Naked Kiss

売春婦が足を洗って平凡な生活を手に入れようとするもゴタゴタに巻き込まれて…ってにっかつロマンポルノみたいな話かと思いきや脱線に次ぐ脱線でどんどんカオスに。結婚相手の家に行ってベートーヴェンを爆音でかけて叩き起こし、主人公がうっとりした目をカメラに向けるシーンとかもはや眩暈が。坊主の女が男をひたすらボコボコにする有名すぎるオープニングとその理由が終盤に至るまで語られない本作の構造からしてあまりにエポックメイキングすぎ、今更付け焼刃のサブカル知識でしたり顔で語ること自体がアイコン化した恥ずかしさに溢れているのだが、本作の小児性愛描写に少しだけ触れておく。「フラー的」とも言える恐ろしい速さで我々の前に提示されては消えていくフラッシュバックのような編集は異質ではあるが特段真新しいものではない。主人公の働く病院の義足の少年少女たちを正面から捉えたショットよりも、彼女たちの身体を艶めかしく捉えたショットが複数散見されることのほうが今日的に異質に映った。「外見で騙せても、お前の身体は変えられないぜ」というかつて娼婦であった主人公へ投げかけられた言葉と呼応するように(あるいは呼応しないように)、徹底して主人公の身体が“エロく”大写しになることはない。痛ましいほどの身体障害の少年少女たちが海賊のコスプレをして「青い鳥」を歌うのみである。

 

 

・水城しげる貸本モダンホラー 下

水木しげる貸本モダンホラー (下) (QJマンガ選書 (15))

 

 

「下巻はフォークロア色の強いものを…」と米沢氏が意図する通り、下巻に入っていわゆる鬼太郎以前の「貸本水木しげる」特有の貧乏くささ漂う“ローファイ”さに拍車がかかっている。

水木御大と多方面から崇められようが所詮は50年程前の貸本マンガであるはずの作品群がどうしてここまでリーダビリティ溢れたものであるのか、その一因は水木しげるのコラージュセンス(水木しげるのルーツの多くは日本の妖怪画などではなく50s~60sのアメリカンコミックに求められる、正直オマージュの域を超えたものもありフリッパーズの小山田が愛好しているのもなんていうか…)やグロテスクでありながらもポップなキャラクター造形などに拠るところもあるのだろうが、そもそも話のヘロヘロ具合も大きく起因している。

神様の語源は“髪”様であるとして由来となった霧に満ちた不穏な部落を旅する大学生二人組の話がいつのまにか人間国宝の壺をめぐる話にすり替わり(永仁の壺)、ノーベル賞を一ダースもらう(!?)ために宇宙飛行士を目指す青年と博士が厳しい訓練に挑む話がいつのまにか眼球を摘出され身体をグロテスクな異形の怪物へ改造されてしまった青年の深夜の孤独を描く話にすり替わっていたり(サイボーグ)、その話のズレ具合はとても自然なものではなく、レコードをA面からB面へひっくり返すようにはっきりと別の次元へたどり着いている。同時代のつげ義春の諸作品にも感じる浮遊感をここでも指摘できるだろうが、水木のローファイドリーミーぶりには遠く及ばない。

 

 

今日1日これを聞いていた。


The Cure - In Between Days - The Head on the Door - 1985

ネオアコだなーと思って聞いていたらspoonみたいな曲もあったり、とにかく古びてない。なにより夏を感じる。こんなジャケなのに。

 

 

 

20170725

ミヒャエルハネケの『71フラグメンツ』

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DVD付属インタビュー内で監督のハネケ自身が饒舌に(核心までも度がすぎるほど)語るように「構造の秘密とは長さ」なのである。71 Fragments of a Chronology of chance と原題で題されている通り、71の欠片であって大筋となるストーリーラインは存在しており最終的に個々の話がオーストリア銀行の大量虐殺というカタストロフへ収束していく様子は本作の多くの評でこれまで指摘されてきた通りガスヴァンサントの『エレファント』やアルトマンの諸作品を思い起こさせる。正直なところFragments と題されるからには『コヤニスカッツィ』のようなバキバキの編集でめぐるしく変わる場面による幻惑的作用を期待していたので冒頭のアンビエントな雰囲気を持つロマの少年の脱出を描く長回しには肩すかしをくらった。しかしこれが不思議な心地よさを生み、何ら説明もなく話が展開することもないまま、優雅に夜景を捉えたまま10分が経過したころには黒味を多用したfragmentsによる冗長でありながら過度に説明的でない本作の編集リズムに釘付けになっていた。

fragmentsからなる全体を考えるほど漠然とし個々のカットを見つめるための検証からは離れていく。なので一番印象に残ったものを一つここで挙げる。難民のロマの少年が駅構内をさまようシーン。駅でホームの端をひとり歩く少年。ホームの端を歩いていることを駅の放送で咎められるのだが、少年は言葉が通じないためわからない。鳴り響くアナウンス。向かいのホームにいた現地の男の子がロマの少年を指さして笑う。それに気づきはにかむ少年。対岸の男の子も手を広げてロマの少年の真似をして振り子のようにしてホームの端を歩く。あまりにギリギリを歩くのでヒヤヒヤする。気が付くと画面内には死の香りが横溢する。ここでカメラは二人を同一の画面に入れるためにホームに入る電車の主観ショットのような正面の位置に移動する。二人は手を広げて互いにホームの端ギリギリに立ち、振り子のようにして歩いている。ロマの少年は手首をわずかに曲げている。幽霊、いや天使のように見えなくもない。少年は立ち止まりホームに垂直に向き合うと向かいの少年へ微笑み、そして数歩下がってゆっくりと走り出す。ホーム内へと飛び込んでしまう寸前、電車が到着する。暗転。次の場面へ。

こうした不穏な場面は何度も我々の前にあらわれては消えていく。終盤のテロの惨劇の被害に遭った死体から流れる血を延々映し続けるショットに代表されるようなある種のハネケ監督によるいやらしさに辟易したものの、全体を覆うコミュニケーション不全の主題とそれを巡る観客への饒舌で丁寧すぎるほどの演出は成功している気がする。

 

 

・冒頭の93年のボスニア紛争の映像に映る飛行機が未来少年コナンのギガントみたいだった。

 

水木しげる貸本モダンホラー 上』

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QJマンガ選書でこんなものが出ていたのかという驚きとともに購入。QJ漫画選書といえば、貸本からジャンプ連載作品までとにかくカオスでジャンクな漫画を復刊しまくりで一部のサブカル漫画ファンからカルトな人気を得た90年代の漫画を語る上で外せないレーベルである(悪評も含めて)。今回の水木しげる短編集は巻末の米澤嘉博の「斜線の一つ一つに至るまで水木しげる本人の手で描かれて」いるという言を信じるのならばまぎれもない「ガチ水木作品」であってそこらへん米澤氏以外の水木評者からの文章を読みたくなる。作家論に付随する、「そもそもマンガの作者とは誰か」問題、以前映画研究の同期に「マンガ研究はいいよなぁ、作家が作家だもん」との恨み節を頂いたが微妙に言い返せずに歯がゆい思いをしたので思考の片隅に常にとどめておきたい。

正直水木しげるは「のんのんばあ」以外まともに通読していないので偉そうなことを言えたクチではないが、このバタ臭さが癖になりそう。つうか全部胡散臭すぎる。ローファイなガレージサウンドなんてものじゃなく異様に味のある島村楽器の高校生バンドの動画のような血気迫ったものでありながら笑えてしまう雰囲気を持っているように感じた。(そもそも冒頭からヤマタノオロチ埋蔵金を探しにねずみおやじと旅に出る話だし)

いくつかの作品で「頭の良い知識人は時間を無駄にしない」というスノッブなモチーフが見え隠れしたのが気にかかる。