20170726

シネマヴェーラノワール映画特集『三人の狙撃者』(1954)(原題:Suddenly)、監督はルイス・アレン。他作品は日本ではほぼ見てる人がいない。

大統領が田舎町(Suddenlyという名前)の駅に立ち寄るというので、三人の狙撃者が高台の平和な家に立てこもり、大統領を待ちかまえる話。

70分なだけあって会話のテンポも爆速で増村っぽかった。


Suddenly (1954) [Film Noir] [Drama]

パブドメなのでyoutubeで英語字幕で見れる。家に押し入った三人の大統領暗殺犯との密室サスペンスなのだが、微妙に戦争のフラッシュバックだとか世代間対立とかが絡んでいて非常にニコラスレイっぽい。つかまさかラストが犯人に電気ショック浴びせてマシンガン乱射だなんて…

 

・もう一本はサミュエルフラー『裸のキッス』(1964)


The Naked Kiss

売春婦が足を洗って平凡な生活を手に入れようとするもゴタゴタに巻き込まれて…ってにっかつロマンポルノみたいな話かと思いきや脱線に次ぐ脱線でどんどんカオスに。結婚相手の家に行ってベートーヴェンを爆音でかけて叩き起こし、主人公がうっとりした目をカメラに向けるシーンとかもはや眩暈が。坊主の女が男をひたすらボコボコにする有名すぎるオープニングとその理由が終盤に至るまで語られない本作の構造からしてあまりにエポックメイキングすぎ、今更付け焼刃のサブカル知識でしたり顔で語ること自体がアイコン化した恥ずかしさに溢れているのだが、本作の小児性愛描写に少しだけ触れておく。「フラー的」とも言える恐ろしい速さで我々の前に提示されては消えていくフラッシュバックのような編集は異質ではあるが特段真新しいものではない。主人公の働く病院の義足の少年少女たちを正面から捉えたショットよりも、彼女たちの身体を艶めかしく捉えたショットが複数散見されることのほうが今日的に異質に映った。「外見で騙せても、お前の身体は変えられないぜ」というかつて娼婦であった主人公へ投げかけられた言葉と呼応するように(あるいは呼応しないように)、徹底して主人公の身体が“エロく”大写しになることはない。痛ましいほどの身体障害の少年少女たちが海賊のコスプレをして「青い鳥」を歌うのみである。

 

 

・水城しげる貸本モダンホラー 下

水木しげる貸本モダンホラー (下) (QJマンガ選書 (15))

 

 

「下巻はフォークロア色の強いものを…」と米沢氏が意図する通り、下巻に入っていわゆる鬼太郎以前の「貸本水木しげる」特有の貧乏くささ漂う“ローファイ”さに拍車がかかっている。

水木御大と多方面から崇められようが所詮は50年程前の貸本マンガであるはずの作品群がどうしてここまでリーダビリティ溢れたものであるのか、その一因は水木しげるのコラージュセンス(水木しげるのルーツの多くは日本の妖怪画などではなく50s~60sのアメリカンコミックに求められる、正直オマージュの域を超えたものもありフリッパーズの小山田が愛好しているのもなんていうか…)やグロテスクでありながらもポップなキャラクター造形などに拠るところもあるのだろうが、そもそも話のヘロヘロ具合も大きく起因している。

神様の語源は“髪”様であるとして由来となった霧に満ちた不穏な部落を旅する大学生二人組の話がいつのまにか人間国宝の壺をめぐる話にすり替わり(永仁の壺)、ノーベル賞を一ダースもらう(!?)ために宇宙飛行士を目指す青年と博士が厳しい訓練に挑む話がいつのまにか眼球を摘出され身体をグロテスクな異形の怪物へ改造されてしまった青年の深夜の孤独を描く話にすり替わっていたり(サイボーグ)、その話のズレ具合はとても自然なものではなく、レコードをA面からB面へひっくり返すようにはっきりと別の次元へたどり着いている。同時代のつげ義春の諸作品にも感じる浮遊感をここでも指摘できるだろうが、水木のローファイドリーミーぶりには遠く及ばない。

 

 

今日1日これを聞いていた。


The Cure - In Between Days - The Head on the Door - 1985

ネオアコだなーと思って聞いていたらspoonみたいな曲もあったり、とにかく古びてない。なにより夏を感じる。こんなジャケなのに。